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鹿児島地方裁判所 昭和33年(わ)442号 判決

被告人 田原迫稲実

昭三・七・六生 洋品雑貨販売業

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実は、

被告人は、指宿市内の金融業者から金員を借り受けるついて、中園武雄、吹留栄吉、新村助次郎より、保証人となることの事前承諾を得ていないにも拘わらず、

第一、昭和三十二年三月十三日頃、指宿市東方七四四番地有限会社平和商事の事務所において、同会社取締役社長新宮領亀吉に対し、「中園武雄が保証人になるから三万円を貸してくれ」との旨虚構の事実を申し向けると共に、右中園武雄が保証した旨の被告人振出の額面三万円の約束手形一通を差し入れて、右新宮領をして、真実右中園が被告人の為右手形金額の支払につき保証したものと誤信させ、よつて即時その場で同人から現金三万円を金借名下に受け取つて騙取し

第二、同年同月二十七日頃、前同所において、前記新宮領に対し、「前記中園、吹留、新村が保証人になるから九万円を貸して貰いたい」旨申し詐ると共に、同人等が保証した旨の被告人振出の額面九万円の約束手形一通を差入れて、右新宮領をして前同様誤信させ、よつて即時その場で同人から金借名下に現金九万円を受取つて騙取し

第三、同年四月十七日頃、指宿市十二町大牟礼八〇九番地大村伊兵衛方において、同人に対し、「前記中園武雄が保証するから五万円貸して貰いたい」旨申し詐ると共に、同人が被告人の為に連帯保証した旨を認めた公正証書作成委任状一通を差入れて、右大村をして、真実右中園が被告人の為に連帯保証人となつたものと誤信させ、よつて即時その場で同人から現金五万円を金借名下に受取つて騙取し、

第四、同年七月六日頃、前記有限会社平和商事の事務所において、前記新宮領亀吉に対し、「前記中園、吹留、新村等が保証人になるから十万円貸して貰いたい」旨申し詐ると共に、同人等が保証した旨の被告人振出の額面十万円の約束手形一通を差入れて、右新宮領をして、前記第二項記載と同様誤信させ、よつて即時その場で同人から現金十万円を金借名下に騙取し

たものである。と謂うに在る。

然し乍ら、右公訴事実を審理した結果、検察官主張の如き、被告人において、前記中園武雄、吹留栄吉、新村助次郎等の印鑑を所謂高利貸外の正常金融機関からの借財の切替等の為に預かつていたのを奇貨として、これを不正に使用して、本件公訴事実記載の犯行を行つたものであるとの事実については、結局犯罪の証明が十分でない。よつて、その理由を要点について摘記すれば、

一、保証人となつた前記中国、吹留、新村等はいずれも被告人の親戚であつて、中園と吹留は被告人の亡父が被告人肩書地において洋品雑貨販売業を営んでいた当時から親しくして居り、その経営維持資金繰り等についても援助していた、そして中園、吹留、新村の三名は、被告人が亡父の遺業を承け継いで経営に当つたが、亡父生前中からの借金の整理の為に、更に借金を重ねていた事情を知悉して居り、而かも被告人に対しても経済的援助と激励とをしていたことが証拠上認められる。(証人中園武雄の第三回公判における証言中、亡父生存中の洋品雑貨販売業は有限会社であつて、証人はその監事になつたことがある。証人の叔父即ち被告人の亡父が中風で倒れたあとは、被告人が借財の為資金繰りしていたので、被告人に印を貸したことがある、被告人の父死亡後(証人が、被告人及びその母親に対して、「店をくずすことは一両日に出来る、造るということはむずかしい、しかしまあ頑ん張つてみないか」と言つたことがある、被告人が、一月すると鹿銀指宿支店から金が出るということで、指宿不動産という高利貸から金を借りるについて証人の田圃二枚を担保に入れることを承諾したことがある旨等の証言、同証人の第七回公判における証言中、被告人の父の死亡後に被告人の母が来て、借金整理の為にその時家を処分するというようなことを言うのでそれはいけないという話をしたことがある、証人は、昭和三十年頃、共助会から被告人の為の保証人としての債務について強制執行を受けたことがあり乍ら、その後においても何回も印鑑を被告人に渡したことがある旨等の証言。証人吹留栄吉の第三回公判における証言中、証人は前記有限会社の役員になつたことがある。証人は、被告人が商売上他から金を借りるついて必要があればいつでも保証人になつてあげるということをいつたことをないかとの検察官の問に対して、一時はありました、若いものだから頑張れよといつて、と答えている、被告人の亡父に対しても印鑑を貸したことがある旨等の証言。第三回公判における証人新村利夫の証言中、証人の妹は被告人の妻であり、証人の父助次郎は中風で動けないので、証人が被告人から頼まれて、被告人が旭銀指宿支店、鹿信指宿支店から金借するについて父助次郎の名義で保証人となる為に父助次郎の印鑑を貸し、右旭銀指宿支店には担保も入れてあり、その金借高は合計百三十五万円位である旨の証言)

二、本件公訴事実に謂うところの詐欺の直接被害者たる大村伊兵衛、新宮領亀吉は、前記中園等三名が本件公訴事実記載の如き被告人に対する金員貸借について保証したことは間違いないと具体的事実を挙げて証言している。(第三回公判における証人大村伊兵衛の証言中、昭和三十二年七月八日に証人が中園武雄と同人の勤先の学校で会つて、被告人に貸した金が払つてない、そして中園がその保証人になつているので来た旨を話したところ、中園は別に保証債務を否認するようなことは言わず、笑いながら被告人の家に行つて見ると言つていた、同三十三年四月十日に被告人の母の招きがありその習日中園、村上、被告人の三名と会合した際、村上から一年棚上げの話を持ち出されたが拒つた、その際にも中園は自分は保証をしたことはないなぞとは全然言つていない旨の証言。第三回公判における証人新宮領亀吉の証言中、昭年三十三年二、三月頃に、中園とは隣近所なので三回位行つて同人に会つて請求したが、同人は被告人が払つてくれるといいんだがなあと言つていたが保証債務を否認するようなことは言つていない、その前にも昭和三十年十月頃に被告人に金を貸し保証人は中園であつたが、延滞したために請求したときに、中園は被告人と一緒に来て、きついからというようなことを言つていたが、保証債務を否認したようなことはなかつた、新村助次郎方は遠い所なので一回請求に行き、同人の妻と会つて話したが右助次郎の保証債務を否認はしなかつた、吹留栄吉のところへは三回位請求に行つたが、これも同様で、まだ入れてないのですか、私も行つてそう言つてあるのだが、そのうち出来るようにするからと言つていた旨等の証言)

三、中園、吹留、新村三名共に、同人等の証言自体において、大切な印鑑を貸すにしては、余りにもその貸し方が無造作であり、而かも何時貸して何時返して貰つたのかの詳細も判然とせず、甚しきに至つては、前掲証人吹留栄吉の第一回目の証言では、一ヵ月以上も同人の印鑑を貸しつ放なしにしてあつた旨が証言されている。(証人新村ユイ(新村助次郎の妻)、同田原迫タケ(被告人の母)、同田原迫八重子(右新村助次郎の娘で被告人の妻)の各証言に徴しても同趣旨のことが十分窺える)

四、本件は右中園武雄、吹留栄吉、新村利夫等三名の被告人に対する告訴によつて始まつた事件であるが、該告訴の前後において、問屋筋の債権者、金融機関の代表者、所謂高利貸即ち前記大村伊兵衛、新宮領亀吉と右保証人等並びに被告人等が会合して、被告人が借金整理について話し合つた際においても、右保証人等は各自の保証債務について全然否認的な言動はしていない。(証人甲斐貞一、村上貞雄、今村勘助、吹留栄吉の各証言を措信し、これに反する証人中園武雄、新村利夫の各証言は信用出来ない。特に証人今村勘助は鹿児島信用金庫指宿支店長の現職に在るものであつて、高度の信憑性がある)

五、本件告訴はその動機に不純なものがあることがかなりに窺える。一件記録中の告訴状に明記してあるとおり、本件告訴があつたのは昭和三十三年六月二日である。然るに、保証債務免除或は被告人において債務支払を現実に行つたとか、又将来確実に行えるとの保障もなく、つまり何等常識的に首肯し得るような理由がないのに拘らず、同年十一月十八日(起訴前)にこれを取り下げていることは、これも亦一件記録中の告訴取り下げ願書並びに右証人中園、吹留、新村の各証言によつて明らかであるばかりでなく、被告人の当公廷における供述、証人田原迫タケ、田原迫八重子の各証言、証人大村伊兵衛、新宮領亀吉、甲斐貞一、今村勘助の各証言、及び証人新村利夫の証言等を綜合すると、右中園、吹留、新村の三名は、被告人の家に他の高利貸から差押があつたのにあわて出して、新村利夫の弟である現職の刑事と相談のうえ、本件公訴事実記載の各印鑑を被告人が不正に使用した旨を所轄指宿警察署に告訴し、該刑事事件は勿論、民事訴訟においても、被告人が自分達と口を合わして供述すれば、保証債務を免れることが出来る、そして中途で告訴の取下をすれば、刑事事件の方は不起訴となるか、よしんば起訴されても、被告人は執行猶予となるであろうことを見越して、一種の芝居を打つたのではないかとさえ疑わしむるものが相当程度にある。

六、検察官は被告人の警察における供述調書の取調は請求しないで、検察庁におけるそれのみを請求しているが、それはいずれも検察事務官に対する供述調書で合計三通あるのであるが、その一番初めの調書においては、右中園等保証人三名から一々具体的の用途を言つて同人等の印鑑を借りたのではないか、当時保証人等に対しては資金繰りに苦しんでいる事情を話してあるから、銀行以外の金融業者からその印鑑を使つて金借することはほぼ承知していたのではないか、黙認していたのではないかと思つている旨の供述記載がなされているけれども、第二回の供述調書においては、これは単なる自己の想像に過ぎない旨の供述が記載され、第三回の供述調書に及んでは、斯かる弁解は全然記載されて居らず、第三回供述調書では「然し当時は先程申した通り私の商売の資金に困つていましたので悪いとは思いましたが無断で使用したのであります」旨の供述記載がなされている。而して、何故第二回以後の供述においては、最初の如き弁解が供述されなかつたのか、然らば、最初の供述のときには何故虚言を申し立てたのかについては何等の供述記録もなく、而かも第二回供述調書の供述記載中には、数ヵ所に亘つて、被告人の供述として「印鑑を冒用した」との字句が記載されているけれども、被告人の当公廷の供述によれば、被告人は全然斯かる言葉を述べたことはないと供述し、被告人の学歴、職歴等に徴しても、斯くの如き専門語を用いて供述したものとは理解し難く、結局検察官提出に係る被告人の供述調書をもつても、本件公訴事実を被告人が捜査官に対して素直に自白していたものと認むべき証拠とすることは出来ない。

七、被告人は、当公廷においては、右中園等保証人から包括的な事前承諾を得ていたものであつて、その後においても彼等が保証債務を否認していたことはないのみならず、前敍の如く彼等から民刑双方共に口を合せるようにとの趣旨の示唆を受けている旨を主張し、本件詐欺の意思を否認している。

要するに、本件証拠の全体を観察するとき、被告人が右中園等保証人の意に反して同人等の印鑑を不正に使用したこと、少くとも被告人においてその認識があつたこと、即ちその結果本件公訴事実の如き詐欺が成立するものとしての心証を惹起するに足る確証は認められない。よつて本件は犯罪の証明がないことに帰着するので、刑事訴訟法三三六条に則つて被告人に対して無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する

(裁判官 田上輝彦)

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